2016/06/20

母の看取り~終末期

田舎暮らし・アラフォーの田井安奈です。

母の看取りについて、容体が急変しても病院へは入院せず、「老人ホームの慣れ親しんだ部屋で最後を迎える」という重大な決断をした夜までの事を前回で書きました。

今回は、その夜からの事を書いていきます。

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高熱を出した夜から

母が高熱を出し食事もできず、いよいよ終末期に向かっていることを肌で感じた私達は、その夜から同じ部屋で寝泊まりすることにしました。

これは職員さんからのお願いではありません。でも、母の目からは時おり涙が流れているのを見ると、ひとりにはできませんでした。今まで特別な親孝行らしいことができなかった私と姉は、最後までの時間を一緒に過ごすことに決めたのです。ソファーベッドで横になってウトウトしていると、スタッフさんが体温や酸素濃度や血圧などを測るため度々覗いてくれ、アイスノンの取り換えなども頻繁にしてくれました。耳元で優しく声掛けをしてくれている様子を見ながら感謝でいっぱいの気持ちに。

昼間と違い夜勤は少ない人数で仕事をされているのに、気遣いがとても嬉しかったのです。私は時折母の額に手を当てたり、布団が上下に動くのを見て「呼吸をしている」と安心しながらの一夜でした。朝から夕方までは姉が同じ部屋で過ごすことになりました。

こんな感じで3日程過ぎた頃、点滴の効果で熱も下がり水分も採れるほどに回復し、本人の希望で好きな飲み物を飲むことができました。食べることが大好きな母も満足げな様子で冗談も言ったりの様子。

私と姉はひょっとしたら、回復するのでは?と期待しましたが・・・そうはいきませんでした。

 

努力呼吸に変化して

安心したのもつかの間のこと、夜になり呼吸が苦しそうになり再び熱が上がってきました。

あぁ~やはり体力がなくなってきていることと、身体の機能がだんだん衰えてきていることを実感した夜でした。夜中からは、呼吸の仕方に変化がみられ、肩と顎を大きく動かす呼吸に変わりました(努力呼吸)。

翌朝、看護師さんが

「お母さんに合わせたい人を呼んでください」と言われ、私の頭はパニック状態。

覚悟はしていたつもりでも、最後のときが近づいていると思うと恐怖心と焦りで胸はアップアップ。不必要な点滴も中止と決めていたので後は自力のみです。

隣では姉が半泣き状態のため、私は部屋を出てから、親戚に電話したりとバタバタしました。

私の長男は赤ちゃんの頃から母に子守をしてもらったこともあり、飛行機で帰省するなど、数日間のうちに大勢の方が会いに来てくれました。母は話しかけることはできなかったけれど・・・きっと、お別れができたことと思います。

数日間、肩でで大きく呼吸をする「努力呼吸」が続き、傍で見ているだけでしんどそうな感じ。スタッフさんから、終末の身体の変化などが書かれた文書を渡されたのを思い出したので読んでみると、呼吸の仕方が苦しそうに見えるけど、それは準備段階だから、周りが見るほど本人は苦しくないことなどが詳しく書かれてありました。

これを読んで、とても参考になると同時に私の気持ちも少し楽になりました。

最期のとき

努力呼吸が始まってからは、できるだけ私達が傍にいるなどして、空気の入れ替えや懐かしい話をしたりする時間をもちながら、小さなころから今までの事が走馬灯のようにグルグルと頭の中をよぎりました。「ごめんね・・・」や「ありがとう」と心の中で呟いたり、何をするわけでもないけど時間だけが過ぎていきます。

そして、夜になり看護師さんが血圧を測るのに苦労されている様子・・・。

ひょっとして・・・という気持ちで私たちは一睡もできません。母が呼吸をするたびに上下する布団の動きも次第に小さくなってきていることに気づいたからです。それでも何とか無事に朝を迎え、母のパジャマの襟を治していた時のこと、あれっ?呼吸していない!

急いでスタッフさんや看護師さんを呼んだ時には、もうすでに息を引き取った状態でした。

何と、あっけない最期だったのだろう、身体に触れていた私たちが気づかないまま最期を迎えました。特に苦しまず、穏やかな顔で自然に枯れるような最期だったのです。母の看取り~最期を迎えてから

田井安奈

著者:田井安奈

アラフォー主婦で田舎暮らしの田井安奈です。 美肌は日頃の積み重ねに気づき美容に関すること・日々の生活のこと・テレビの感想などを書いていきます。

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